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   <title>今夜も独り鍋</title>
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   <subtitle>一人で鍋だっていいじゃない、お手軽レシピ集</subtitle>
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   <title>「骨組みができた日」を祝う理由　２</title>
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   <published>2012-05-18T04:21:01Z</published>
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江戸時代の建物は耐久年限が300年以上です。


いまでも、江戸初期に建てられた民家が文化財老して残されています。


家が300年以上ももつということは、一代を30年として、家の建築は10代に一度の大仕事だった。


じっさい、その当時、山から木を切り出し、その木を建築材に加工していくことは、業者にとっても、じつに大変な作業だった。


家を建てるということは、費用と手間をみても、一大事業だったのです。


つまり、近所の人が家を建てるということは、地域の喜びでもありました。


そこで、上棟式や落成式は、近所や親せきの人々を呼んで盛大に行われたのです。


現在、上棟式やお金入りのもちをまく落成式が行われるのは、地方の旧家ぐらいになっています。


      
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   <title>「骨組みができた日」を祝う理由</title>
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   <published>2012-04-16T04:20:47Z</published>
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日本には、「上棟式」という伝統的な儀式があります。


全体の柱が組み立てられ、棟が上がった日に、近所の人に祝ってもらう行事です。


西洋の建築にも定礎式というのがあります。


礎石を固めた日に行われるが、日本では基礎を固めた日より、家の骨組みができた日を重んじる。


「上棟式」は、木造建築の国らしい儀式なのです。


というのも、西洋の建築物は基礎さえできあがれば、あとはレンガや石を積み重ねていけばよい。


ところが、日本の木造建築は、基礎の上に大黒柱を立てる。


そして、その大黒柱を中心に、柱を組み合わせ骨格をつくっていきます。


この骨格がデタラメでは家はくずれてしまう。


しっかりとした骨格ができあがってこそ、次の段階へすすめるのだ。

      
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   <title>建築現場の地鎮祭　２</title>
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   <published>2012-03-15T04:20:21Z</published>
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昔から、米は神聖なものであり、悪魔を追い払う力があると考えられていました。


こんな儀式を行うのも、土地には、その土地の神が宿ると信じられてきたからです。


そして、この神の怒りに触れることは大変な災難を呼ぶことになります。


それを防ぐため、土地の神をまつり、工事の無事を祈るのです。


昔から、こういう儀式をおろそかにすると、じっさいに、死者のでる大事故が起こることがあるらしい。


地鎮祭をすることで、工事関係者が心を落ち着け、秩序だって工事がすすめられるのです。


日本人の心の安定剤になる以上、地鎮祭はこれからも続けられていくでしょう。

      
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   <title>建築現場の地鎮祭　１</title>
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   <published>2012-02-13T05:20:04Z</published>
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   <summary> インテリジェンス・ビルの建設現場で、注連縄を張り、神主が御祓いをする光景がみら...</summary>
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インテリジェンス・ビルの建設現場で、注連縄を張り、神主が御祓いをする光景がみられます。


ハイテクの粋を集めてビルを建てるのに、神頼みというのも奇異な感じだが、基礎工事の前には、かならず地鎮祭が行われています。


工事現場内に描いた正方形の四隅に竹を一本ずつ立て、注連縄を張る。


そこへ、酒や海の幸、山の幸を捧げ、神主が水と塩と米をまく。


水と塩をまくのは、相撲取りが土俵上にまくのと同じで、清めの意味があります。


水と塩なのは、その昔、海に入って体を清めたことに由来する。


また、米をまくのは、悪魔を追いはらうという意味があります。


      
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   <title>鬼瓦</title>
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   <published>2012-01-10T05:19:39Z</published>
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   <summary> この鬼瓦が日本に伝わったのは、飛鳥時代。 当時の寺院跡から鬼瓦が何点も出土して...</summary>
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この鬼瓦が日本に伝わったのは、飛鳥時代。


当時の寺院跡から鬼瓦が何点も出土しています。


やがて、鬼瓦は日本特有にアレンジされ、奈良時代にはさらに恐ろしい形相になり、平安時代になると角がはえています。


当時、鬼は鬼門となる東北の方角からやってくるとされた。


東北は、十二支でいえば丑寅になります。


そこで、牛のような角をもち、虎の皮のふんどしをした鬼の姿が創作されたのです。


さらに、室町時代には、悪いものをにらみ返すという意味で、「にらみ返しの瓦」がつくられました。


これは、室町時代の町並みが残る奈良県今井町で、いまもみることができる。


こうして、鬼瓦は現在まで伝えられています。


しかし最近は、瓦ぶきの家が減り、飛鳥時代から伝わる鬼瓦も、日本の風景から姿を消しつつある。

      
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   <title>あの怖い鬼瓦の顔</title>
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   <published>2011-12-18T05:19:20Z</published>
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   <summary> 「鬼瓦権蔵」といえば、かつてのバラエティー番組『オレたちひょうきん族』のなかで...</summary>
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「鬼瓦権蔵」といえば、かつてのバラエティー番組『オレたちひょうきん族』のなかで、ビートたけしが演じていたキャラクター。


口のまわりを黒く塗り、一見、怖そうなオヤジ顔をしていました。


ちなみに、ジュビロ磐田のエース中山雅史は、この「鬼瓦権蔵」に顔が似ているからと、ニックネームが「ゴン」になりました。


さて、この鬼瓦、もともとは瓦屋根につけた魔よけだった。


いまでも、瓦ぶきの家には鬼瓦がみられます。


魔よけなので鬼のような恐ろしい顔をしているが、そのルーツは中国思想にある。


古代中国では、目にみえない鬼神が人々に災いをもたらすと考えられていました。


そこで、家に鬼神を近づけないため、鬼のように憤怒の形相をした瓦を軒の両端につけるようになりました。

      
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   <title>日本に運ばれてきた食べ物　５</title>
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   <published>2011-11-17T03:02:31Z</published>
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      電気パン焼き器はひょっとしたらこちらに落ちるかと思ったのですが、やはり向こうに落ちました。


日本の場合はすぐ近所の店でできたてのパンを売っているのに、あんなガタガタ音がするものを家の中で夜中に回しておく必要はないし、冷えると感激も冷めて、大して旨くないことも分かって、ついにあれも消えました。


そうしてだめになったものを数え上げると、ごますり器、ジューサー、ミキサー、スライサー、電気パン焼き器、かなりのものを私たちは使わなくなっています。



      
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   <title>日本に運ばれてきた食べ物　４</title>
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   <published>2011-10-18T02:02:18Z</published>
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      皆さんの家にある家電製品の３分の２は使われないでいるはずです。


お父さんの健康のためにと買ったジューサーは捨てたか、流しの下のほうに放り込まれています。


もちっ子などもありましたが、あれもとっくに消えました。


電気パン焼き器はまだついこの間のものですが、あれもやはり向こうに落ちました。


向こうに落ちたというのは、刑務所の塀の上を走っているようなギリギリという意味で、どっちへ落ちるか、向こうへ落ちれば有罪、こっちへ落ちれば無罪です。


      
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   <title>日本に運ばれてきた食べ物　３</title>
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   <published>2011-09-14T02:02:08Z</published>
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      私たちの生活に新しく入ってくるモノは全部いいモノでした。


今は新しいモノはかなり怪しいのですが、あの頃は本当にいいモノばかりという実感がありました。


ですから、私たち第二世代は、モノがたくさんあると幸せである、新しいモノはいいという考えが頭に染みついて成人してきた世代です。


その私たちが戦後の日本を支えたのです。


私たちがあれだけ買ったから、ナショナルさんもソニーさんもあそこまで伸びた・家電を買い・肛を買った、家具を買った、家を買った。


ラジオもテレビも買った、買っては捨て、買っては捨て、次から次へと新しいものを買っているという私たちの世代がいる限り、どんどんモノが売れて増え続ける。


そういう国に日本はなり、そしてモノがあふれました。


      
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   <title>日本に運ばれてきた食べ物　２</title>
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      次から次へとモノに触れ、それを並べ立てて喜んでいる世代が私たちです。


そしてその当時、新しいモノはいいものだった。


戦争中私たちは鉱石ラジオというのを作りました。


ピーピー何をいっているのか全然分からないラジオでした。


ところが、１９５５年東通工が出したトランジスタ・ラジオは小さくて透明ないい音がする。


真空管などと比べものにならない。


戦争中の自転車は後ろにお米やジャガイモを積んで走らなくてはならないから、タイヤも太く重くて無骨です。


それがどんどんフレームが細くなっていき、スマートになります。


      
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   <title>個室が欲しくなる年頃</title>
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      <![CDATA[子供が小さい間は、2段ベッドでもよいが、中学生ともなれば個室が欲しくなります。


この家族は幸い男の子同士であったから、これまで一緒でよかったが、異性の場合であったら、どうしても小学生から分離が必要となります。


そこで、これまでの間取りに若干の変更を加え、改装を試みたのが前頁の模様替え平面図です。


居間の部分は幅が狭く、細長くて使いにくいものだったが、和室6畳のふすまを除いて続き部屋とし、敷物を敷き、ベッドを置いて洋風の子供室に改装した。


プライバシーの点では十分とはいえないが、アコーディオンカーテンで仕切れるよう考慮してあります。


また、玄関ホール部分が少し広めだったので、その空間を利用して物入れ戸だながつくり付けとしてデザインされました。


食堂のテーブルを中心にして、居間をDLとして使い、これまでの応接セットを整理して新しく壁ぎわに<a href="http://nuqmo.com/" target="_blank">ソファー ベッド</a>を置き、ファミリーコーナーを設け、だんらんの場としています。


これでずい分ふん囲気が変わり、便利で使いよくなったようです。
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   <title>日本に運ばれてきた食べ物　１</title>
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      戦後M&amp;Mチョコレートというのが突然現れました。


うちの娘など子供の頃、ガバガバッと口に放り込んで食べていましたが、私たちは一粒ずつ食べて、ときどき出して乾かして、もういっぺん口に入れたりする貴重品でした。


コカコーラが日本で生産を始めるのが１９５６年です。


そういうモノがなかった時代に、いろいろなモノが次から次へと出てきた。


いろいろなモノが続々と入ってきた。


今まで何もないわけですから、うれしくてうれしくてしようがない。


      
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   <title>粥占・豆占い</title>
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      <![CDATA[ともに一年の豊凶や天候を占う年占でよく使われるものです。


おおむね小正月に行なわれるが、地域によっては節分や端午の節句、七夕、八月十五夜などに行なうこともあります。


粥占は神供とする粥の中に細竹や藁しべなどを入れ、これの中に入った(あるいは付着した)米粒の数や形で天候や豊凶を判断する。


細竹などを十二本入れる場合は、各一本が各月に当たることになる。


また、各々の細竹が各作物に当たることもあります。


豆占も目的は粥占と同じです。


占い方は、囲炉裏の灰の上に豆を十二粒並べ、その焦げ方を見て判断する。


たとえば、白い灰になったら晴れ、黒い灰なら雨、早く焼けるのは目干害シューシュー息を吐くのは風が強い、といった具合です。


このほかにも、餅を焼いて占う餅占、栗や胡桃などを焼く十二焼きといった占いがあります。


とにかく色々な占いがありますが、<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>だと思います。

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   <title>旅の楽しみ方を模索　３</title>
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      松前藩の運上屋が置かれて、ニシン景気は昭和まで続きました。


現在は戦後発達したリンゴ栽培と、大日本果汁から変わったニッカウイスキーが町の産業になっています。


また、ここは積丹半島への北側の入口でもあります。


空席が目立ってきた列車は、余市を発車すると海岸線から離れて、積丹半島の基部を横切るために登りにかかります。


車窓にはリンゴ畑が広がりました。


余市からふたつ目に然別という駅があります。


十勝地方にある然別湖と漢字も読みも全く一緒です。


「シカリ・ペッ」は(屈曲する川)だそうです。

      
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   <title>旅の楽しみ方を模索　２</title>
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      小樽からふたつ目に蘭島という駅があります。


この駅から南東３キロのところに、日本では最大最古といわれるストーンサークル・忍路環状列石があります。


日本海を見ながら走り、リンゴとウイスキーで知られる余市に着きます。


ここで乗客がかなり降りた。


乗ってきたのはその半分ぐらいでした。


余市の語源は「イ・オチ」で(蛇の多いところ)だといいます。


昔は余市川の周辺に蛇が多かったというが、以前は蛇ではなくてニシンで栄えた場所です。
      
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