「骨組みができた日」を祝う理由 2


江戸時代の建物は耐久年限が300年以上です。


いまでも、江戸初期に建てられた民家が文化財老して残されています。


家が300年以上ももつということは、一代を30年として、家の建築は10代に一度の大仕事だった。


じっさい、その当時、山から木を切り出し、その木を建築材に加工していくことは、業者にとっても、じつに大変な作業だった。


家を建てるということは、費用と手間をみても、一大事業だったのです。


つまり、近所の人が家を建てるということは、地域の喜びでもありました。


そこで、上棟式や落成式は、近所や親せきの人々を呼んで盛大に行われたのです。


現在、上棟式やお金入りのもちをまく落成式が行われるのは、地方の旧家ぐらいになっています。

「骨組みができた日」を祝う理由


日本には、「上棟式」という伝統的な儀式があります。


全体の柱が組み立てられ、棟が上がった日に、近所の人に祝ってもらう行事です。


西洋の建築にも定礎式というのがあります。


礎石を固めた日に行われるが、日本では基礎を固めた日より、家の骨組みができた日を重んじる。


「上棟式」は、木造建築の国らしい儀式なのです。


というのも、西洋の建築物は基礎さえできあがれば、あとはレンガや石を積み重ねていけばよい。


ところが、日本の木造建築は、基礎の上に大黒柱を立てる。


そして、その大黒柱を中心に、柱を組み合わせ骨格をつくっていきます。


この骨格がデタラメでは家はくずれてしまう。


しっかりとした骨格ができあがってこそ、次の段階へすすめるのだ。

建築現場の地鎮祭 2


昔から、米は神聖なものであり、悪魔を追い払う力があると考えられていました。


こんな儀式を行うのも、土地には、その土地の神が宿ると信じられてきたからです。


そして、この神の怒りに触れることは大変な災難を呼ぶことになります。


それを防ぐため、土地の神をまつり、工事の無事を祈るのです。


昔から、こういう儀式をおろそかにすると、じっさいに、死者のでる大事故が起こることがあるらしい。


地鎮祭をすることで、工事関係者が心を落ち着け、秩序だって工事がすすめられるのです。


日本人の心の安定剤になる以上、地鎮祭はこれからも続けられていくでしょう。

建築現場の地鎮祭 1


インテリジェンス・ビルの建設現場で、注連縄を張り、神主が御祓いをする光景がみられます。


ハイテクの粋を集めてビルを建てるのに、神頼みというのも奇異な感じだが、基礎工事の前には、かならず地鎮祭が行われています。


工事現場内に描いた正方形の四隅に竹を一本ずつ立て、注連縄を張る。


そこへ、酒や海の幸、山の幸を捧げ、神主が水と塩と米をまく。


水と塩をまくのは、相撲取りが土俵上にまくのと同じで、清めの意味があります。


水と塩なのは、その昔、海に入って体を清めたことに由来する。


また、米をまくのは、悪魔を追いはらうという意味があります。

鬼瓦


この鬼瓦が日本に伝わったのは、飛鳥時代。


当時の寺院跡から鬼瓦が何点も出土しています。


やがて、鬼瓦は日本特有にアレンジされ、奈良時代にはさらに恐ろしい形相になり、平安時代になると角がはえています。


当時、鬼は鬼門となる東北の方角からやってくるとされた。


東北は、十二支でいえば丑寅になります。


そこで、牛のような角をもち、虎の皮のふんどしをした鬼の姿が創作されたのです。


さらに、室町時代には、悪いものをにらみ返すという意味で、「にらみ返しの瓦」がつくられました。


これは、室町時代の町並みが残る奈良県今井町で、いまもみることができる。


こうして、鬼瓦は現在まで伝えられています。


しかし最近は、瓦ぶきの家が減り、飛鳥時代から伝わる鬼瓦も、日本の風景から姿を消しつつある。

あの怖い鬼瓦の顔


「鬼瓦権蔵」といえば、かつてのバラエティー番組『オレたちひょうきん族』のなかで、ビートたけしが演じていたキャラクター。


口のまわりを黒く塗り、一見、怖そうなオヤジ顔をしていました。


ちなみに、ジュビロ磐田のエース中山雅史は、この「鬼瓦権蔵」に顔が似ているからと、ニックネームが「ゴン」になりました。


さて、この鬼瓦、もともとは瓦屋根につけた魔よけだった。


いまでも、瓦ぶきの家には鬼瓦がみられます。


魔よけなので鬼のような恐ろしい顔をしているが、そのルーツは中国思想にある。


古代中国では、目にみえない鬼神が人々に災いをもたらすと考えられていました。


そこで、家に鬼神を近づけないため、鬼のように憤怒の形相をした瓦を軒の両端につけるようになりました。

日本に運ばれてきた食べ物 5

電気パン焼き器はひょっとしたらこちらに落ちるかと思ったのですが、やはり向こうに落ちました。


日本の場合はすぐ近所の店でできたてのパンを売っているのに、あんなガタガタ音がするものを家の中で夜中に回しておく必要はないし、冷えると感激も冷めて、大して旨くないことも分かって、ついにあれも消えました。


そうしてだめになったものを数え上げると、ごますり器、ジューサー、ミキサー、スライサー、電気パン焼き器、かなりのものを私たちは使わなくなっています。


日本に運ばれてきた食べ物 4

皆さんの家にある家電製品の3分の2は使われないでいるはずです。


お父さんの健康のためにと買ったジューサーは捨てたか、流しの下のほうに放り込まれています。


もちっ子などもありましたが、あれもとっくに消えました。


電気パン焼き器はまだついこの間のものですが、あれもやはり向こうに落ちました。


向こうに落ちたというのは、刑務所の塀の上を走っているようなギリギリという意味で、どっちへ落ちるか、向こうへ落ちれば有罪、こっちへ落ちれば無罪です。

日本に運ばれてきた食べ物 3

私たちの生活に新しく入ってくるモノは全部いいモノでした。


今は新しいモノはかなり怪しいのですが、あの頃は本当にいいモノばかりという実感がありました。


ですから、私たち第二世代は、モノがたくさんあると幸せである、新しいモノはいいという考えが頭に染みついて成人してきた世代です。


その私たちが戦後の日本を支えたのです。


私たちがあれだけ買ったから、ナショナルさんもソニーさんもあそこまで伸びた・家電を買い・肛を買った、家具を買った、家を買った。


ラジオもテレビも買った、買っては捨て、買っては捨て、次から次へと新しいものを買っているという私たちの世代がいる限り、どんどんモノが売れて増え続ける。


そういう国に日本はなり、そしてモノがあふれました。

日本に運ばれてきた食べ物 2

次から次へとモノに触れ、それを並べ立てて喜んでいる世代が私たちです。


そしてその当時、新しいモノはいいものだった。


戦争中私たちは鉱石ラジオというのを作りました。


ピーピー何をいっているのか全然分からないラジオでした。


ところが、1955年東通工が出したトランジスタ・ラジオは小さくて透明ないい音がする。


真空管などと比べものにならない。


戦争中の自転車は後ろにお米やジャガイモを積んで走らなくてはならないから、タイヤも太く重くて無骨です。


それがどんどんフレームが細くなっていき、スマートになります。

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